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判断に迷うとき5分で読める

「多角的」と「客観的」の違い——一歩引くことと、視点を増やすこと

「客観的に考えよう」と「多角的に見よう」は、同じ意味のように並べて使われがちです。けれど中身は別の操作です。客観的に見るとは、自分を一歩外へ引くこと。多角的に見るとは、自分以外の目を増やすこと。前者は視点を一つの「誰のものでもない場所」へ寄せ、後者は視点をいくつにも分けます。この違いを知らずに使うと、客観的なつもりで自分の立場が残ったままだったり、多角的なつもりで同じ前提の人ばかり集めていたりします。

違いを一言でいうと——ズームアウトと、回り込み

写真にたとえると分かりやすくなります。客観的に見るのは、被写体から離れてズームアウトすることです。自分の感情や利害という近すぎる距離を外し、出来事の全体を「自分の事情抜き」で眺めます。多角的に見るのは、被写体の周りを回り込んで、別の角度から何枚も撮ることです。上司の立場、同僚の立場、数年後の自分の立場から、同じ出来事を撮り直します。前者は距離を変え、後者は向きを変える。だから片方をやっても、もう片方をやったことにはなりません。

完全な客観は存在しない——だから多角が要る

ニーチェは「事実というものはない。あるのは解釈だけだ」と書きました。どんな見方も、どこかの位置から切り取られています。「客観的に見て、あなたが悪い」という言葉も、実際には話し手の位置からの一つの解釈です。だから客観だけを目指すと、自分の解釈を「中立」と取り違える危険があります。そこで要るのが多角です。立場の違う見方を並べると、どれも一つの位置にすぎないことが見えてきます。逆に、多角だけでは足りないこともあります。並べた見方のどれにも自分の怒りや不安が混ざったままなら、増えたのは感情の数だけです。先に一歩引き(客観)、次に回り込む(多角)。この順番が効きます。

01方法1エピクテトス

一歩引く:出来事と判断を分ける

ポイント

起きたことと、自分が付けた意味を、別々に書く。

エピクテトスは「人を悩ませるのは事象そのものではなく、事象についての判断である」と言いました。客観の最初の一歩は、起きたことと、それに自分が付けた意味を分けることです。「会議で発言を遮られた」は出来事、「軽く見られている」は判断です。判断を消す必要はありません。出来事から切り離して置くだけで、距離が一歩生まれます。

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02方法2マルクス・アウレリウス

一歩引く:上から眺める

ポイント

同じ出来事を、高さと時間を変えて眺め直す。

マルクス・アウレリウスは『自省録』の中で、地上の出来事を高いところから見下ろすように眺める練習を繰り返し書いています。いま胸を占めている出来事を、町の上空から、あるいは何年も先の時点から見たら、どのくらいの大きさに見えるか。小さく見えたからといって、出来事が無意味になるわけではありません。ただ、自分の感情が測っていた大きさと、出来事そのものの大きさが同じではないことが分かります。

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03方法3ニーチェ × ブッダ

回り込む:前提の違う人に当てる

ポイント

前提が食い違う二人に同じ出来事を当て、自分の立っていた位置を知る。

一歩引いたら、次は回り込みます。ここで大事なのは、人数ではなく前提の違いです。同じ考え方の人を何人集めても、角度は増えません。たとえばニーチェとブッダは、苦しみへの向き合い方で正面から食い違います。前者は運命を力強く引き受けて自分を超えていけと言い、後者は執着そのものを手放せと言う。同じ出来事を二人に当てると、自分がどちらの答えを聞きたがっていたかが見え、自分の立っていた位置が分かります。

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04方法4サルトル

最後は自分の位置に戻って選ぶ

ポイント

集めた見方の中から、自分の位置で一つを選び、理由を一文で書く。

客観と多角は、どちらも自分の位置から離れる操作です。けれど、離れたままでは何も決まりません。サルトルは「人間とは、自らがつくるもの以外の何ものでもない」と言いました。どれだけ視点を集めても、最後にどれを採るかを選ぶのは自分です。一歩引いて距離を取り、回り込んで角度を増やしたら、自分の位置に戻って一つ選ぶ。ここまでで一回りです。

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