出来事と、それについての判断を切り分ける
動かせない「出来事」と、自分が加えた「判断」を分けて見る。
エピクテトスは「人を悩ませるのは事象そのものではなく、事象についての判断である」と述べました。上司の一言そのものと、「自分は評価されていない」という解釈は別物です。紙に2列で書き分けてみると、多くの場合、動かせないのは左側(出来事)だけで、苦しさの大半は右側(判断)にあると分かります。これがコントロールの二分法の入り口です。
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自分に宛てて書く
読者のいない文章で、本当に困っていることを露わにする。
マルクス・アウレリウスの『自省録』は、誰かに読ませるための本ではなく、皇帝が自分に宛てて書いた覚え書きです。読者を想定しない文章は、言い訳や体裁が抜け落ちて、自分が本当に何に困っているのかが露わになります。人に説明する言葉ではなく、自分に確認させる言葉で書くのが要点です。
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いま乱れているものを名指しする
動揺に具体的な名前をつけて、輪郭を与える。
ストア派が目指したアパテイアは、感情を消すことではなく、判断に振り回されない状態を指します。そのために彼らがしたのは、湧いた動揺に名前をつけることでした。「不安」で止めず、「今週の締切に間に合わない可能性への不安」まで具体化する。輪郭がつくと、対処できるものとできないものに分けられるようになります。
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反対側から同じ出来事を読み直す
噛み合わない二人の視点で、自分の立っている前提を浮かび上がらせる。
一人の視点をどれだけ深めても、その視点の外側は見えません。噛み合わない二人の思想家に同じ問いを当てると、自分がどの前提の上に立っていたのかが浮かび上がります。たとえばエピクテトスとデカルトは「まず何を疑うか」で正面から食い違います。この対比を読むこと自体が、客観視の練習になります。
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客観視が向かないとき
距離を取ることが常に正しいわけではありません。強い痛みの最中に自分を突き放すと、感じるべきものを感じ損ねることがあります。客観視は、落ち着いてから状況を整理し直すための道具です。眠れない・食べられないなど生活が続かない状態が続くときは、この種の技術ではなく専門の窓口が要ります。
読むだけで終わらせない
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