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考え方の技術
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メタ認知とは何か——「考えている自分」を見る訓練を哲学から

メタ認知とは、ごく簡単に言えば「考えている自分」に気づくことです。自分を客観視するという言い方とほぼ重なりますが、対象が出来事ではなく自分の思考そのものである点が違います。対象について考えるのが認知なら、その考え方そのものを対象にするのがメタ認知にあたります。「腹が立った」が認知だとすれば、「自分はいま、腹を立てるほうの解釈を選んでいる」がメタ認知です。心理学の言葉として広まりましたが、同じ操作を哲学は2000年以上扱ってきました。

01デカルト

疑いを、疑っている自分にまで向ける

ポイント

考えの当否を評価せず、「いま自分は何をしているか」だけを言葉にする。

方法的懐疑は、少しでも疑えるものをすべて偽とみなして捨てていく手続きです。その果てに残ったのは、疑っているという働きそのものは疑えない、という一点でした。これは知識論の話であると同時に、注意の向け先を「考えの中身」から「考えているという働き」へ移す操作でもあります。訓練としては、浮かんだ考えの当否を評価するのをやめ、「いま自分は何をしているか」だけを言葉にしてみてください。

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02ブッダ

浮かんだものに名前をつけ、通り過ぎるのを見る

ポイント

湧いたものを自分と同一視せず、三人称で言い直して距離を取る。

諸行無常は、あらゆるものが生じて留まらず去ると見る立場です。感情も考えも例外ではありません。ここでの訓練は、湧いたものを自分と同一視せず、「怒りが生じた」と三人称で言い直すことです。デカルトが理屈で一段上がるのに対し、こちらは観察で距離を取ります。同じ「考えの内側から出る」という目的に、性質の違う2つの道があると考えると使い分けができます。

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03ハイデガー

「なぜ自分はこれを気にしているのか」まで降りる

ポイント

「考えすぎ」で止めず、なぜこれを気にしているのかまで降りる。

現存在とは、自分の存在が自分にとって問いであるような存在のことです。メタ認知が単なる自己モニタリングの技術に痩せてしまうとき、抜け落ちているのはこの層です。「自分は考えすぎだ」で止めず、「なぜ自分はこの件をこれほど気にしているのか」まで降りたとき、初めて前提そのものが動きます。観察の精度を上げるより、観察する位置を深くするほうが効くことがあります。

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ひとりでやると行き詰まる理由

自分の考えを自分で見張る作業は、同じ頭の中で完結します。だから前提の盲点は残ったままになりやすい。早いのは、外から別の前提を当てることです。たとえばエピクテトスとデカルトは「まず何を疑うか」で正面から食い違います。エピクテトスは自分の判断を疑い、デカルトは世界の側を疑う。この食い違いを自分の悩みに当てると、自分がどちらの前提に立っていたのかが見えます。ひとりでの内省に多角的な視点を持ち込むには、こうして外から別の前提をぶつけるのがいちばん確実です。

メタ認知にも副作用がある

考えを見張りすぎると、行動が止まったり、感じるべき感情を感じ損ねたりします。観察と反芻を見分ける目安はひとつ——次の一手が出るかどうかです。同じ場面を何度も再生するばかりで手が動かないなら、それは観察ではなく反芻です。その状態が続くとき、必要なのは考え方の技術ではありません。眠れない・食べられないなどが重なる場合は、専門の窓口に相談してください。

つらいときの相談窓口まもろうよ こころ(厚生労働省) ↗

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