「考え方を変える」は、性格を変えることではない
サルトルは「実存は本質に先立つ」と述べました。人はあらかじめ決まった中身を持って生まれるのではなく、選び続けることであとから何者かになる、という主張です。この見方に立つと、「自分はこういう人間だから」は結論ではなく、これまでの選択の要約にすぎません。変えるべき対象は、固定された性格ではなく、次の一手を決めている前提のほうだと分かります。
いま何を「当たり前」にしているかを書き出す
悩みの中で証明抜きに使っている「規則」を拾い出す。
前提は、疑われていないからこそ前提でいられます。最初の作業は、悩みを言葉にしたときに証明抜きで使っている語を拾うことです。「迷惑をかけてはいけない」「ここで降りたら負けだ」「ちゃんとしていないと見捨てられる」。これらは事実の記述ではなく、あなたが採用している規則です。書き出してみると、自分を縛っている規則が思ったより少ないことに気づく人が多くいます。
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その前提が、どこから来たのかを疑う
その基準は自分で選んだものか、痛みを避けるために後から作ったものかを問う。
ニーチェはルサンチマンという言葉で、勝てない相手への引け目が価値の物差しそのものを書き換えてしまう働きを指しました。手が届かないものを「あれには価値がない」と言い換えれば、心の帳尻は合います。けれどその瞬間、自分が本当に望んでいたものは視界から消えます。前提を洗うときの問いはひとつです——これは自分で選んだ基準か、それとも痛みを避けるために後から作った基準か。
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「足す」以外の変え方も数に入れる
新しい信念を足すだけでなく、力ずくの手つきを緩めることも選択肢に入れる。
考え方を変えるというと、新しい信念を足す方向ばかり想像しがちです。老子はその逆を説きました。無為とは何もしないことではなく、力ずくの介入をやめることです。ニーチェが「崩れた価値を自分で立て直せ」と言うのに対し、老子は「立てようとする手つきそのものを緩めよ」と言います。この2人は正面から噛み合いません。噛み合わない2つの答えを並べて自分の状況に当てること自体が、前提を多角的に見る作業になります。どちらが効くかは状況によるので、両方を候補に持っておくほうが動けます。
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変わったかどうかは、宣言ではなく再現で測る
ニーチェの永劫回帰は、予言ではなく試金石として読めます。「いまの生がそのまま無限に繰り返されるとして、それを引き受けられるか」。この問いへの答えの変化は、その日の気分よりずっと当てになります。考え方が本当に変わったかどうかは、似た出来事が次に起きたときの最初の反応が変わったかで測ってください。「変わった」と宣言した回数では測れません。
変えないほうがいい考え方もある
前提を疑う作業は万能ではありません。理不尽な扱いを受けているときに「自分の受け取り方が悪いのでは」と考え方を変えにいくと、変えるべき状況のほうを温存してしまいます。前提の点検は、状況を動かせる余地があるときの道具です。眠れない・食べられないなど生活そのものが続かない状態が続くときは、考え方の問題として扱わず、専門の窓口に相談してください。
読むだけで終わらせない
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