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PRESCRIPTION No.024PHILOSOPHER'S WORDS

誰もが他者であり、誰ひとりとして自分自身ではない。

ハイデガー/存在と時間/現代ドイツ
この一節は『存在と時間』から。原典で読む(存在と時間 (ちくま学芸文庫))

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一言でいうと

日常の私たちは「みんながそうするから」で考え、選び、感じていて、気づけば誰でもない誰かとして生きている、という指摘。自分らしさを見失う仕組みを言い当てた言葉である。

くわしい解説

『存在と時間』でハイデガーは、日常を生きる私たち(現存在)は「誰」なのかと問い、その答えを「ひと(世人、das Man)」だと言います。「ひと」とは特定の誰かではなく、「ひとはこう考える」「ひとはこうするものだ」と言うときの、顔のない世間一般のことです。

私たちは、ひとが楽しむように楽しみ、ひとが憤慨するものに憤慨する、とハイデガーは書きます。流行も評判も、誰か一人が決めたわけではないのに、全員がそれに合わせている。そうして誰もが他人の基準で動いているので、「誰もが他者であり、誰ひとりとして自分自身ではない」状態が生まれます。

ハイデガーはこれを単純に悪いこととは言っていません。世人として生きることは、人間が日常を回すための基本的なあり方だからです。そのうえで、自分の死という誰にも代わってもらえない可能性に向き合うとき、人は世人から自分を取り戻すきっかけを得る、と彼は考えました。

どんな悩みに効くか

SNS の評判や周りの目が気になって、自分が本当はどうしたいのか分からなくなったときに。いま迷っている選択について、「ひとならどうするか」と「自分ならどうするか」を分けて書き出してみてください。二つが同じなら問題はありません。違ったときに初めて、自分の声が聞こえてきます。