記事
PRESCRIPTION No.046PHILOSOPHER'S WORDS

過ちて改めざる、是を過ちと謂う。

孔子/論語 衛霊公第十五/古代中国

一言でいうと

間違えること自体は過ちではなく、間違いを認めて直さないことこそが過ちである、という定義の置き直し。失敗の意味を軽くし、対応の意味を重くする。

くわしい解説

『論語』には過ちについての言及が繰り返し現れます。「過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ」——過ちを改めるのをためらうな、という一句も別の巻にあります。孔子の関心は、過ちを犯さない完全さではなく、犯した後の運動のほうに向いています。

この置き直しには実務的な効果があります。失敗そのものが過ちだとすると、失敗を隠すことが合理的な選択になってしまう。しかし直さないことが過ちだと定義すれば、隠すこと自体が過ちに含まれる。認めやすさが構造として組み込まれます。

同時に孔子は、直すことを甘く見ていません。『論語』では、同じ過ちを繰り返さなかったことが弟子の顔回への最大級の賛辞として記されています。改めるのは容易ではないからこそ、それができた人が特別に称えられているわけです。定義が軽くしたのは失敗の重さであって、直す仕事の重さではありません。

どんな悩みに効くか

失敗を報告できずに抱え込んでいるときに。孔子の定義では、まだ過ちにはなっていません。過ちになるのは、直せる段階を過ぎたときです。今日中に伝えられる相手を一人決めて、事実だけを短く共有してください。それで定義上は過ちを回避できます。