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PRESCRIPTION No.032PHILOSOPHER'S WORDS

幸福なシーシュポスを思い描かなければならない。

アルベール・カミュ/シーシュポスの神話/現代フランス
この一節は『シーシュポスの神話』から。原典で読む(シーシュポスの神話 (新潮文庫))

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一言でいうと

意味のない労働を永遠に繰り返す罰の中でも、その運命を自分のものとして引き受けた者は幸福でありうる、という逆説。不条理から逃げずに生きる姿勢を示す一文である。

くわしい解説

ギリシャ神話のシーシュポスは、神々を欺いた罰として、巨大な岩を山頂まで押し上げ続ける刑を受けました。岩は頂上に着くたびに転げ落ち、彼はまた麓から押し直さなければなりません。カミュは評論『シーシュポスの神話』の結びで、この終わりのない労働を人間の生の姿として描き、この一文で本論を閉じています。

カミュが注目したのは、岩が転げ落ちたあと、シーシュポスが麓へ歩いて戻る時間です。そのとき彼は自分の運命の全体をはっきり意識している。不条理を自覚し、それでも岩に向かうことを選ぶとき、運命は神々のものではなく彼自身のものになる、とカミュは考えました。

これは「つらくても笑え」という精神論ではありません。カミュは、人生に究極の意味を与えてくれる神や理論にすがること(彼の言う「哲学的自殺」)も、絶望して降りることも退けます。意味がないと知ったうえで、明晰なまま生き続けること。その反抗の中にこそ幸福がありうる、という主張です。

どんな悩みに効くか

毎日同じことの繰り返しで、何のために続けているのか分からなくなったときに。繰り返しそのものに無理に意味をつけなくても構いません。今日の繰り返しを、誰かにやらされているものではなく、自分が引き受けたものとして始め直してみてください。同じ作業でも、その手触りは変わります。