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PRESCRIPTION No.029PHILOSOPHER'S WORDS

私は反抗する、ゆえに私たちは在る。

アルベール・カミュ/反抗的人間/現代フランス

一言でいうと

世界に意味がないことを認めたうえで、それでも投げ出さずに応答し続ける姿勢を「反抗」と呼ぶ。絶望でも希望でもない第三の態度。

くわしい解説

カミュは、世界が意味を与えてくれないという事実(不条理)から出発します。彼が退けたのは二つの出口でした。一つは自殺、もう一つは宗教や思想によって意味を外から補う「哲学的自殺」です。どちらも不条理を消してしまう点で同じだと彼は考えました。

残る道が反抗です。意味がないことを認めながら、それでも目の前の不正や苦痛に「否」と言い続ける。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」をもじったこの一文は、思考ではなく反抗を存在の証明の位置に置き換えています。

注目すべきは主語です。デカルトが「我あり」と単数で締めたのに対し、カミュは「私たちは在る」と複数で受けます。自分の尊厳のために否と言うとき、同じ理由で否と言える他人の存在も同時に認めている——反抗は孤独ではない、というのが『反抗的人間』の主張です。ここから彼は、革命が暴力へ転じる境界線を批判的に検討しました。反抗が他者の否を踏みにじった瞬間、それは反抗ではなくなるからです。

どんな悩みに効くか

「頑張っても報われない」と分かってしまった場面に効きます。カミュは無理に希望を持てとは言いません。報われる保証がないことを認めたうえで、それでもやめないと決められることが一つあるか——その一つが、彼の言う反抗にあたります。