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PRESCRIPTION No.013PHILOSOPHER'S WORDS

我思う、ゆえに我あり。

デカルト/方法序説/近代フランス
この一節は『方法序説』から。原典で読む(方法序説 (岩波文庫))

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一言でいうと

すべてを疑ってもなお、疑っている自分がいることだけは疑えない。崩れない一点を確保するための、思考の底打ち作業から出てきた結論である。

くわしい解説

デカルトはまず、疑えるものをすべて疑うという極端な手続きを取りました。感覚は錯覚を起こすので信用できない。数学ですら、悪意ある欺き手に騙されている可能性を排除できない。こうして足場を次々に外していった果てに、外せないものが一つ残ります。

騙されているとしても、騙されている当人はいなければならない。疑っている以上、疑う働きは現に起きている。だから「私は考える、ゆえに私はある」。ここで言う「考える」は思索に限らず、疑う・望む・感じるといった意識の働き全般を指します。

この一点が重要なのは、内容の正しさではなく順序にあります。デカルトは世界の存在を証明してから自分に至ったのではなく、自分から出発して世界を組み直そうとしました。近代哲学が「主観から始める」構えを取るようになった転回点が、この一文です。以後の哲学は、この出発点を引き受けるか批判するかという形で応答することになります。

どんな悩みに効くか

何を信じていいか分からなくなったときの、最後の足場として使えます。人の評価も、自分の記憶も、当てにならない日はあります。それでも「いま迷っている自分がここにいる」ことだけは残る。そこから一段ずつ組み直せばいい、というのがこの方法の意味です。