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PRESCRIPTION No.034PHILOSOPHER'S WORDS

自分の中を見よ。内側にこそ善の泉がある。

マルクス・アウレリウス/自省録/古代ローマ
この一節は『自省録』から。原典で読む(自省録 (岩波文庫))

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一言でいうと

よいものを外部の評価や成果に探しに行かず、自分の判断と行いの側に見出せという指示。枯れない泉という比喩は、供給源が自分にあることを示す。

くわしい解説

この句には続きがあり、掘り続ければ泉は絶えず湧き出る、という趣旨が添えられています。外部の評価は他人の都合で止まりますが、自分の内側の源泉は掘る限り出続ける——供給の安定性が論点になっています。

ストア派の価値論では、本当に善いものは徳(知恵・正義・勇気・節制)だけであり、健康や富や評判は「価値はあるが善ではないもの」に分類されます。この区別があるから、外部が失われても善そのものは失われない、という結論が出てきます。

マルクス・アウレリウスがこれを書いた状況を思うと、言葉の性格が見えてきます。ローマ皇帝は称賛にも中傷にも際限なく晒される立場でした。外部の声が最も豊富に手に入る人物が、あえて内側に源泉を置いた。外が足りないからではなく、外は当てにならないからです。豊富に手に入るものほど、供給が止まったときの落差は大きくなります。

どんな悩みに効くか

評価されない、認められないという渇きが強いときに。承認を求めるのをやめる必要はありません。ただ、今日の自分の行いのうち、誰にも見られなくても続けたいものを一つ確かめてください。そこが、他人の都合で止まらない側の供給源です。